大口酒造株式会社
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焼酎の歴史

伊佐焼酎
おいしい焼酎づくりに欠かせないのが良質の水と米、そして薩摩イモ。
鹿児島県伊佐地方(大口、菱刈)は、美味で知られる伊佐米の産地であり、清流、寒冷な気候など自然環境にも恵まれています。そんな恵まれた環境で生まれたのが『伊佐焼酎』。

「焼酎」の二文字が書かれた最古の資料である、木札が発見された郡山八幡神社。「ふる里の焼酎」と言ってこよなく伊佐焼酎を愛していた、文豪・海音寺潮五郎。『伊佐焼酎』は、長い歴史と伝統に支えられて今日に至ります。

昔、伊佐には13の蔵元がありました。そのうち11の蔵元が協業組合として統一ブランド『伊佐錦』の大口酒造を創業(1970年)。さらに『伊佐美』の甲斐商店(伊佐市大口)、『伊佐大泉』の大山酒造(伊佐市菱刈)3蔵元が、現在の伊佐焼酎を育み、支えています。

鹿児島県の焼酎は「薩摩焼酎」とも呼ばれ産地呼称として保護されています(名瀬市、大島郡を除く)が、伊佐市で造られた焼酎を『伊佐焼酎』と呼び県内でも定評があります。また、県内でもこのように、その地域の焼酎を総称して呼ばれる地域は例を見ません。

大口酒造創業時に送られた、大口市出身で直木賞作家の海音寺潮五郎先生からの書簡にも伊佐焼酎について紹介されています。



焼酎の歴史は、ここで生まれた。
郡山八幡神社と棟札 伊佐錦のふるさと伊佐市。ここはまた焼酎のふるさとでもあります。国の重要文化財のひとつ郡山(こおりやま)八幡神社。昭和29年解体修理をした際、頭貫上から400年以上も昔の宮大工が残した落書きが発見されました。

「ここの主はケチで一度も焼酎を飲ましてくれなかった」という内容のもので、永録二年(1559年)の年号が記されてありました。 これが日本で初めての焼酎という文字が出てきた最古の資料です。
当時すでに、この地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ、これにより伊佐市が焼酎発祥の地と言われる由縁となりました。
永禄二年 1559年(室町時代)
室町幕府(1336年〜1573年) 足利尊氏によって創設された武家政権。足利幕府ともいう。将軍家の邸宅がのちに京都室町におかれたことから、一般に室町幕府と呼ばれる。応仁の乱により、幕府の権威は衰え、下克上の世となり、末期には全国各地に戦国大名が興って、幕府は有名無実の状態となった。
しかし文化的には北山文化、東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらした。1573年15代将軍足利義明が織田信長によって追放され、幕府は滅亡した。



郡山八幡神社
郡山八幡神社:国指定重要文化財建造物

社伝によると菱刈(ひしかり)氏の始祖菱刈重妙が建久4年(1193年)に封を受け、建久5年(1 194年)8月領内を巡視のとき郡山で一老翁に会い、「われは豊前の宇佐八幡である。 われをここに祭れば汝の子孫を守護し、その栄福を祈るであろう。」といわれ、その言葉を信じて豊前宇佐八幡の神霊を勧請し、建立したのが、この神社と語りつがれている。

本殿桁行5.43m・梁間5.43m単層屋根入母屋造柿葺(こけらぶき)宮殿桁行1.81m・梁間1.81m単層屋根入母屋造棚葺となっている。建築は室町及び桃山形式の手法と、琉球建築の情調が強く加味されている。

建築の年代は最初明らかではなかったが葺き板の裏に大工が墨尾(すみさし)をもって「永正4年(1 507年)丁卯再興島津出羽守殿」とあるのが発見されてから、それ以前に八幡神社が建立されていたことが立証された。

現在の本殿建物は昭和29年国の手で復元収補したものである。
名称 八幡神社本殿一棟付宮殿一基
所在地 鹿児島県大口市大田1549番地
指定年月日 昭和24年5月30日
郡山八幡宮境内案内板より


文豪、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)が、こよなく愛した伊佐錦。
焼酎資料館の棟札 「薩摩の焼酎は、日本一…、いな世界一である…。その薩摩焼酎の中で伊佐郡の焼酎を最上とするとは、鹿児島県内の定評である…。僕のふるさとの焼酎なのである」。


これは反骨の歴史小説家、直木賞作家、海音寺潮五郎氏から伊佐錦にいただいた賛辞の言葉です。厳しくも優しい味わいが、郷土の文豪を魅了したのでしょう。「伊佐錦」の書体もまた、海音寺潮五郎氏によるものです。
海音寺潮五郎

明治34年(1901年)11月5日に鹿児島県の北方・熊本県との県境にある現在の大口市に生まれた。 代表作に、「天と地と」 「西郷隆盛」 「武将列伝」 などがある。
「二本の銀杏」 を初め として郷里大口を舞台とした小説も残している。 西南戦争に題材を取った短編集 「田原坂」 にも大口を舞台とした作品が含まれている。

薩摩の訓育法   海音寺 潮五郎(昭和33年1月10日 南日本新聞)

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